若狭三十三観音霊場第1番札所☆曹洞宗 ・永厳寺(ようごんじ)

ようごんじ1

 

 

福井県・若狭・敦賀市の

金ケ崎町にある 『 永厳寺 』 は

国道8号線・金ヶ崎トンネルの

手前の道路沿いに

西参道の石柱が立っており

脇に駐車場がございます。

 

 

ようごんじ2

 

 

お堂と墓地に隣接していて

本堂、鐘楼、山門、観音堂、阿弥陀堂などが

配置されております。

 

 

ようごんじ1

 

 

国道から墓地に入る

右手の下に

戦国時代に発見され

600年以上枯れることなく

湧きつづけている

「 泉のお清水 」

という湧水場もございます。

 

 

そして、永厳寺から

更に金ヶ崎に向かうと

若狭観音霊場の2番目の札所

金前寺になります。

 

 

ようごんじ

 

 

永厳寺は 「 天狗党 」 と

関わりがございます。

 

天狗党とは

武田耕雲斎等水戸浪士の一団で

京へ向かう途中

自分等の望みが潰えたのを悟り

若狭・敦賀で降伏しました。

 

そして、史上まれに見る

353人斬首という

苛烈な刑を受ける事

となりました。

 

このとき、当時の住職が

まだ幼い少年達の命乞いを申し出て

少年達を引き取ったそうです。

 

また、遠島者等は

引き続き鰊倉に幽閉され

翌年には、小浜藩預かりとなり

倉から永厳寺に移され

一年程、こちらで過したのではないか?

と言われております。

 

天狗党は1868年

水戸に帰ることが許され

京から江戸を経て

129人が水戸に戻った

とされております。

 

 

天狗党

 

 

[ 永厳寺 ]

 

 

所在地

福井県敦賀市金ケ崎町15-21

 

お問い合わせ

0770-22-1535

 

交通アクセス

JR敦賀駅・出口から徒歩約27分

 

 

ようごんじ3

 

 

 

PS~

 

永厳寺の創建は、応永20年

永建寺三世東渓宗陽大和尚で

本尊に千手観音を安置したとされ

漁夫に支えられてきたそうです。

 

その後、信長・家康連合軍による

敦賀・金ヶ崎城攻めにより

一帯は荒土と化した様です。

 

そして、敦賀代官 「 打它宗貞 」 により

畜馬の牧場として使用されていた

土地を買い取り中興開基されたとの事。

 

 

ダビ

 

 

慶長12年には

他所からこの地に移され

創建されましたが

昭和20年の

米軍大空襲により

山門・鐘楼を残し

全ての寺宝を消失しました。

 

この梵鐘は、寛文5年の銘があり

県の文化財の指定を受けている様です。

 

昭和43年に

堂宇が再興され

現在に至っております。

 

◎御詠歌◎

~~~~~~~~

我が罪がを

包みおさめる観音

天筒の嶺に

月ぞ照りはゆ

~~~~~~~~

 

 

ようごんじ4

 

 

(写真はGoogle画像検索より)

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